ショウケイコの軌跡
幼少期と歌との出会い
兵庫県神戸市で3人兄妹の長女として生まれ育つ。幼い頃から、自宅には地域の活性に貢献していた父を慕う人々が集まり、交流の場となっていた。そうした賑やかな環境の中で、ショウケイコは自然と歌を披露する機会が増え、その歌声で場を和ませ、笑顔を引き寄せる才能を持った子供として知られるようになった。
震災と新たなスタート
しかし、1995年の阪神淡路大震災によって生活は一変する。ショウケイコの住まいは全壊し、生まれ育った神戸を離れ、家族とともに京都に一時避難することとなる。その震災から数年後、ショウケイコが神戸に戻ったのは震災から約3年後の秋になる。その後、神戸市の繁華街(三宮)にスナックとして「婕/sho・ショウ」店を立ち上げ、ショウケイコの歌声とスタッフのパフォーマンスが話題となり、震災後の傷跡が残る神戸の街に笑顔を取り戻すきっかけとなり、復興活動に力を注いだ。
その矢先、実の妹のように大切にしていたスタッフ(仮名:優子)が末期癌で、わずか24歳という若さで亡くなる。優子はショウケイコの歌を愛し、彼女の活動を支える大切な存在だった。優子への深い思いを込めて、ショウケイコはインディーズでカバーアルバムを制作し、亡き優子に捧げることを決意。これがショウケイコの歌手デビューのきっかけとなり、音楽活動の新たな一歩を踏み出すこととなる。その背景からも、ショウケイコは故・優子を偲び、スタッフの健康や心に寄り添うことを大切にしている。(さよならの向こう側)
歌手デビューと未来への挑戦
その後、ショウケイコの歌声が地域で評判を呼び、彼女のカバーアルバムがある日、偶然にも歌手であり作曲家でもある小田純平氏の耳にとまる。小田氏はそのCDを聴き、ショウケイコの感情豊かな歌唱力と個性的な声に深く感銘を受け、これを契機に、6月にレコーディングを行い、10月7日にデビューCDをリリースすることが決定した。ショウケイコの哀愁を帯びた個性的な声が、小田氏が作り上げる独特な女心を見事に表現し、そのデビューは大きな注目を集めた。現在もお店には毎晩のように彼女の歌声を聞きに多くの客が訪れ、ショウケイコの人柄と歌声は、聴く人々に元気を与え、安心感をもたらす魅力がある。
ショウケイコからのメッセージ
音楽は人との繋がりを深める大切なものです。ステージで歌うことも、お店やSNSで応援してくださる皆さんとの時間も、私にとって大きな喜びです。
これからも、YouTubeやTikTokを通じて新しい音楽や動画をお届けし、不定期ではありますがステージで歌うときには、皆さんと一緒に心に残る瞬間を感じられることを願っています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。